暴論13 漫画にすれば何とかなるという安易な発想

先日、文楽劇場に行ったら、さまざまなパンフレットとともに、「まんがでぶんらく」というパンフレットが置いてあった。文楽作品のあらすじを初心者向けに漫画で紹介しようという試みであり、それ自体はよいことだと思う。が、実態が伴っていない。

 

なぜだめかというと、まあきりがないのだが、商業出版されてる漫画のように、漫画として洗練されていないからだ。同人誌レベルか、それ以下。一言でいうと、読み手に伝わるまんがになってないのである。具体的にいうと、だいたいこんなところだ。

 

・登場人物がたくさん出てくるが、読んでいくうちにこのキャラ誰?となる→キャラの書き分けができていない。

・描写が荒っぽい(展開が急すぎる、フォローの解説文が不足で、初見の人に不親切すぎる)→ネーム(コマ割り・構図)がダメ。

 

ちなみに、小学館や集英社とかの漫画雑誌で連載されている商業出版の漫画って、漫画家が必死に考えた原案を、編集者が読み手の立場でアドバイスしたりダメ出ししたりして、面白くなるように工夫された上で、雑誌に載り、読者に届けられている。漫画家を目指す人が原稿を持ち込んだり、賞に応募したりしたときに、作品のつくりが未熟ゆえにコキ下ろされるのが、まさに赤字で書いた部分なのである。


そんなとき、編集者は書き手にこういう。


「貴方の思いはわからないでもない。でも、この内容では、書いた本人にしか分からない。読者に伝わらないよ?」


通常、コミックの作品はゼロからの創作なので、ストーリーやキャラ・世界観の設定が面白いか、分かりやすいかというのが根幹にある。キャラの書き分けやコマ割りによって読みやすい漫画を設計していくのはその先のことだ。

 

一方、文楽を漫画で紹介する場合、ストーリーや設定は動かしがたい。だから、それを前提に、どのようにキャラをかき分けて、コマ割りして見せていくか、というところでしか工夫できないのだが、それが著しく足りない。


もちろん、紙幅の都合もあるのだろうが、いまのままでは、文楽初心者が見たときに、かえって「分けわからん!」、と逆効果にしかならないように思う。

 

ちなみに、写真を付けた妹背山、一谷の解説漫画の発行は平成11~12年頃と奥付に書いてある。まんが・イラスト担当はこの方(廣瀬万知子氏)のようだ。

 

いや、誤解のないように補足しておくが、私は別にこの方のせいだとは思っていない。なぜなら、この方はイラストレーターであって漫画家ではないから、この仕事に合っていないのである。むしろ、このパンフの企画を立てた関係者にこそ、なぜふさわしい人へ頼まなかったのかという責任があると思う。

 

勝手な勘ぐりだが、当時、文化庁の補助金か何かがついて、あまり深く練りもせず、さあやってみるか、みたいな感じだったのではないだろうか?しっかり練って作っていれば、こんなことにはならなかったように思う。大変残念だ。